人形補足


「最古の四人」とはアルレッキーノパンタローネ、コロンビーヌ、ドットーレをさす。


遡ることおよそ二百年前のヨーロッパ。錬金術研究家で医者の白銀・白金兄弟がプラハで出会った貧しい娘に恋をした。兄の白銀が弟の憧れていた彼女を横取りする形で結婚してしまったことがそもそもの始まり。逆上した白金がフランシーヌを連れ去るが、逃亡先でフランシーヌが自殺。人形フランシーヌは彼女の死後に20数年を費やして白金によって作られた。

錬金術研究の賜物「命の水(aqua vitae)」によって意思を持つ完全な自動人形であるが、まったく笑うことができない。加えて感情表現にも乏しい。人形フランシーヌを笑わせるため白金が古典喜劇を手本に造った4体の自動人形が「最古の四人」である。当初は明確な意思を持たない自動人形であった。その後、人形フランシーヌが笑わぬことに失望して白金は姿を消す。捨てられた形となった人形フランシーヌは白金(=造物主)が戻ってくること信じて彼の残した「真夜中のサーカス」の団長となり、笑う方法を求めて旅に出る。そして自分を笑わせるために自ら「命の水」を模して作った「擬似体液」を「最古の四人」に注入して意思をあたえる。アルレッキーノは「前よりも意識をはっきりと自覚できるようになった」と言う。

「どうか私と来て・・・私が笑える方法をともに見つけておくれ」

さらにアルレッキーノはその時のことを
「わたしたちはなんというか・・・奮い立った」と述べている。

フランシーヌを笑わせるために造られ、なおかつ意思を与えられたのにも関わらず、一向に笑わせることができない。その結論として「命の水」によって「人間」になったフランシーヌ様の気持ちが分からねば笑わせてさし上げることは困難。ゆえに「私たち自動人形もフランシーヌ様を笑わせるために人間になり、その心理を理解し、笑いをもたらす」ということである。そのために、世界に残された「命の水」を奪取しようとしているのである。

「最古の四人」を初めとする自動人形たちは「擬似体液」(不完全な命の水)を動力源に動くが、不完全ゆえに人間の血を摂取しないと活動できなくなる問題がある、その為、人間が常に犠牲となる。人形フランシーヌだけが擬似体液ではなく、白金が注いだ「命の水」で活動しているため、人間の血液の摂取を必要としない完全にして唯一の自動人形である。また、白金の残したものに「ゾナハ病」というものがある。ナノサイズの自動人形による人体に生ずる発作である。それは人間の神経系呼吸器系に作用し、他人を笑わせないと呼吸困難になるという病である。すべてを「道化」にし人形フランシーヌを笑わせる努力を無理強いさせるために「最古の四人」とともに開発したものであった。それは白金が行方不明になった後も四人が拡散し続け、被害は世界中に拡大していた。このような因縁があるために人間(および人形破壊者)との深い対立図式が成立している。勝がコロンビーヌを信用していなかったのもその点にある。

しかし、人形フランシーヌが旅立ってから90年後。彼女は後任の二代目フランシーヌ人形を自らつくり、それを代役としてひとり姿を消す。笑えぬこと、造物主が見つからないこと。そして自動人形を率いて旅をすることに「疲れ」を感じ、「この世からの消滅」を求めて旅に出る。そして日本のある村で望み通りに消滅してしまった。この事実は後に造物主自ら「最古の四人」に衝撃的事実として語られる。

そして現代。最古の四人は一度破壊されるが、(広義的な意味で)転生した白金すなわち造物主によって再生される。しかし、コロンビーヌが成人女性型から少女型になった以外は特に外見や性能に変化はない。その時点では新しい人形も増え、造物主の側近として最新の「最後の四人」もいる。実際のところ、戦力としては不必要であった。当然のごとく、造物主の元に人形フランシーヌがいるはずもない。ある時、コロンビーヌが質問をする。

「あたしたち最古の3体はなんのために・・・ここにいるのでしょう?」
「滑稽だからさ」
「滑稽・・・ですか?」
「たとえば、本物のフランシーヌ人形が消えているのも知らずに、
 ニセ人形に恭しくつかえていたとかな・・・・・・面白いんだよ、おまえ達は。
 滑稽で見ていて飽きないからさ」
衝撃を受ける3人。ひとりつぶやくように、
「じゃ・・・・・・あたしたちは今まで・・・いったい・・・・・・」

滑稽と言われたこと自体に衝撃を受けているわけではない。「最古の四人」は人を笑わせるために造られた。ある意味においてそれは誉め言葉なのだが、ここは「笑われる」という意味にも取れないことはない。笑わせることは誉れだが、笑われることは恥である。その理由が、仕えていた主の代替と消失。入れ替わっていただけでなく、既に主はこの世にいない。目的も遂げられず、そしてまったく気がつかず。誰よりも忠誠厚いはずだったのに。

(人形フランシーヌの消滅に関する心理的動揺は不明。復活時の単行本を未読のため)

後のコロンビーヌの一連の行動は裏切りとも言えるが、基本的に造物主に反逆はできない。ゆえに自分たちの存在意義であるフランシーヌをより第一義にした行動や拡大解釈(つまり、フランシーヌが喜ぶこと=この場合は勝を助ける)であるといえる。

※最古の四人はこの少し前の時点で「第三のフランシーヌ」ともいうべき存在を見出している。勝はその女性と関わりがあり、そのためにコロンビーヌが助力していた。

もっとも、造物主が勝を自分のもとへ導くため、そのようにコロンビーヌを仕向けた可能性も否定はできない。最古の四人が造物主の手中を出ることは決してなかったといえよう。

最古の四人にとってフランシーヌの存在の大きさは言うまでもない。そのうちの1人、ドットーレは「フランシーヌなど己に何の関係もない」と言った(言わされた)ために自己崩壊を起こす。四人との決戦において、ルシール(ドットーレに因縁のある人形破壊者)の用意したダミーのフランシーヌ人形の命令(ひかえよ)に反応し、動けなくなる自動人形たち。ドットーレに対するルシールの度重なる挑発により「フランシーヌを否定する」形で命令をはねのける。しかし「フランシーヌ様を否定=自分の存在理由の否定」という結果となり、ルシール殺害後、自己崩壊により活動不能となる。
「自分の生きる理由を手放して、自動人形が存在できるものか・・・」とルシールの今際の言葉。

身体中から流れ出る擬似体液にまみれながら、叫んで許しを請うドットーレ。他の3人は冷ややかに「ルシールは最後に贈り物を渡したのだな。」
「『絶望』という、人間の心を・・・」
ちなみに、ドットーレだけは造物主による再生を受けていないのだ。


ドットーレは絶望を味わい、コロンビーヌは愛情を知って退場していった。他の二人はこれからどうなっていくのだろうか?

余談だが、コロンビーヌが退場するシーンは思いのほか涙した読者が多いという。作者である藤田和日朗はこのような敵→味方→死亡や犠牲になって散っていくシーンの描写には定評がある。残念ながらこのシーン、未見である。収録された単行本はまだ出ないようだ。