昨日は朝から店番だった。
「忌々しい・・・」とつぶやきながら店頭に立っていた。
ところが昼から当のK先輩が来るという。ほう、2,3日自分探しの旅に出ているんじゃなかったのかな? 顔を見ると皮肉のひとつでも云ってやりたいところだが、そういうわけにもいかないだろうな。
 で、昼食後にご登場。ひとしきり報告だけして店(本店・事務所)に戻る。戻ると若主人がいた。近くの喫茶店で件のことについて話す。開口一番に、まずは私の腹立ちのことを述べた。あれもこれも話した。だが、どちらにせよ先輩に楯突いたこと、店の人間がいる前で机を叩いてまで激高したこと、街の真ん中で暴れたおしたこと。私に大いに非がある・・・ということだ。社会的、ましてやら業界的にはあり得ない出来事・・・・・・・・。若主人は云う。これがK先輩でなく、もっと力のある人物ならば、わたしは揉み消されていたに違いない。ただ、あの時、2人で店にもどってきた際にK先輩が若主人を呼んだのは間違いだ、と云った。少なくともある程度は自分(K先輩自身)で解決しなければならん、と。
 そう、そのあたりは非常に分かる。むしろそのあたり私の憤りの原因のひとつがあるように思えてならない。なぜ、正面きって向き合ってくれないのか。そしてすぐに投げやりな態度を取る。言いたいことをすべて言って丸く治まるのなら苦労はない。

 私が今後、K先輩に対してこのような態度を取れば、将来的に私が後輩と同様なことを繰り返す可能性があるとも示唆された。ましてや、将来、これからどれだけ腹立たしい事があるだろうか。これくらいで暴れていたら(まともに反応していたら)身が持たない。まさに我慢のしどころ。
若主人もそのあたりで苦労はしてきている。体調の不良の原因もそれによるところが大きいようだ。

そして勝手に他所の日記から引用させてもらったのだが、これは私にとってまさに正鵠を射るという文章だ。たまたまこの日に書かれていた。

>会社だとか仕事だとかに関わらず、果たして人生上でどれほど
>『自分の思い通りになる』出来事があるだろうか?
>殆ど無いのではないだろうか。
>もともと殆ど思い通りにならないのならば、己の裡に発生する不満や
>怒りややるせなさ、といった感情をどう処理するか、という方向に着目し、
>その処理の方法を模索する、という方向にならざるを得ないだろう。
>無論、『自分の望むように』なる様に最大限の努力をした上で、
>それでもどうにもならない場合、の話だ。
>その辺を考えていくと、
>人生とは、我慢する術を学ぶ作業に過ぎない
>とか勝手に後ろ向きな格言でも作りたくなるのだが、考え続けると
>それこそ私がニート化しそうなのでさっさと止めておく。

私もそういう点ではやたらにバカ正直だからな。それに、私の立場ではこれ以上この件を引きずるのは得策ではない。もう、今回については語るまい。
それに、もう疲れた。

帰宅後、またもウダウダとすごす。ここしばらくずっとこんな感じである。